時間分解光電子分光装置


パルスレーザーを用いたポンプ・プローブ分光により、物質中で非常に高速に起こる緩和現象や光誘起相転移を研究することができます。近年のレーザー技術の進歩によって、固体から光電子放出を起こすのに十分な光子エネルギーをもつ極紫外光のパルスレーザーを発生させることが可能になってきました。本装置では、極紫外光のフェムト秒パルスレーザー発生装置と、既にHe放電管で世界最高分解能を有している光電子分光装置を組み合わせることで、ポンプ・プローブ型の光電子分光測定を行うことができます(図1)。

図1:時間分解光電子分光装置の模式図。
Ti:Sapphireレーザー発生装置から供給されるパルスレーザー(波長 840 nm、繰返し250 kHz)を二手に分け一方のパルスをポンプ光(1.5 eV)として用いる。もう一方の光路に二つの非線形結晶BBOを設置して4次高調波を発生させ、光電子スペクトルを測定するためのプローブ光(5.9 eV)として用いる。ポンプパルスとプローブパルスが試料に到達するタイミングは、delay stateを動かして調整する。実際のパルス同士の間隔は1200 mなので、レーザー光源から試料までの光路にパルスは高々1個しか存在しないが、模式的に7個描いている。


極紫外光パルスレーザーを用いた時間分解光電子分光装置の開発は、現在世界中で活発に行われています(独・仏・米・加・中など)。Time-of-flight型の電子エネルギー分析器を用いた時間分解光電子分光にはドイツのグループが成功しています。静電半球型の電子エネルギー分析器を用いた時間分解光電子分光に成功したのは我々のグループが初めてです。静電半球型アナライザーは高精度の角度分解光電子分光に向いています。近い将来、緩和過程における電子状態を運動量分解して測定することが可能になるでしょう。

 


図2:緩和過程の時間スケール。時間分解能は現状125 fs を達成しており、ポンプ光励起後の電子状態が、電子-電子散乱や電子-格子散乱によって緩和する過程を調べることができる。

現在、装置の時間分解能は約125 fsを達成しており、電子-電子散乱や、これに引き続く電子-格子散乱による電子状態の緩和過程を直接観測することができます(図2)。本研究室では、以下のテーマを念頭に研究を行っています。時間分解光電子分光自体がまだ萌芽的な段階なので、色々なアイディアを出し合い、また理論家とも相談をしながら研究を進めています。

1.角度分解時間分解光電子分光
銅酸化物高温超伝導体や巨大磁気抵抗効果を示すMn酸化物など、異方的なFermi面をもつ物質の電子状態の過渡特性(ダイナミクス)を運動量分解して観測します。

2.光誘起相転移の研究
光誘起金属-絶縁体転移などの光誘起相転移を示す物質は、超高速デバイス材料等の応用が期待されています。これらの物質の電子状態の変化をリアルタイムで観測します。

3.準粒子の寿命の直接観測
電気伝導や熱伝導などの輸送特性は、準粒子の分散関係と準粒子の寿命に依存します。後者を直接観測し、スペクトロスコピーと輸送特性をリンクさせます。

4.強相関物質の光励起状態とその緩和過程の研究
電子同士のクーロン反発が強い物質(強相関物質)は、高温超伝導や巨大磁気抵抗効果などの多彩で魅力的な物性を示します。励起した準粒子同士のクーロン反発と準粒子の寿命の関係を実験的に明らかにします。

5.その他(物質表面での触媒反応の電子状態のリアルタイム観測/新しい励起状態の探索/etc.)





最後にグラファイトの時間分解光電子スペクトルを図4に示します。グラファイトは層状の半金属であり、Dirac coneという特徴的なバンド分散を示すために特異な電子-格子相互作用を示すことが示唆されています。
E-EF < 0 eVの占有側の電子が、ポンプ光照射(時刻t = 0 ps)によって非占有側E-EF > 0 eVに励起され、その後数十psかけて緩和していく様子がわかります。t > 0 psではフェルミ準位(E-EF = 0 eV)の強度が増加しています。これは電子系の温度上昇だけでは説明できず、特異な電子-格子相互作用を反映していると考えられます。

図4:グラファイトの時間分解光電子スペクトル。
ポンプパルス照射により非占有側(E ? EF > 0)にスペクトル強度が現れ、数10 psかけて緩和する。挿入図は光電子対数度をエネルギーと遅延時間に対してマッピングしたもの。




■仕 様
 電子エネルギー分析器: 静電半球型アナライザー (Scienta SES2002, VG Scienta Inc.)
 光源: Mode-lock型Ti:Sapphire laser system (RegA9000, Coherent Inc.)
 冷却機構: ヘリウム連続流型クライオスタットと熱シールド板の併用

■性 能
 エネルギー分解能: 10 meV
 時間分解能: 125 fs
 冷却能力: >4 K
 温度制度: ±0.1度
 測定時真空度: 2×10E-11 torr